道の駅はっとうから徒歩16分、桜並木や第二八東川橋梁を走る若桜鉄道など美しい日本の原風景が広がる先に「東村勘右衛門土手(ひがしむらかんえもんどて)」があります。
江戸中期1700年代、大河川である八頭町八東川の氾濫は、旧八東町の東地域の農作物に大きな被害をもたらしていました。これを憂いた勘右衛門は、私財を投じ築造指揮をして河川の左岸要所に500メートルの土手を築きました。これが勘右衛門土手(藤どて)と呼ばれており、大きな石を敷き詰め土手全体を覆う構造となっています。また、勘右衛門は藤かづらと韮(ニラ)を石組の間に植え地盤の強化安定を図りました。この韮は飢饉時には食用として重宝されたといわれています。